養護施設ボランティア

6月の話だが、児童養護施設にボランティアで、掃除の手伝いとレクリエーションをしに行った。


子どもたちは何がしかの理由があって、親と一緒に暮らせない子たち。
理由なんて聞けなかったけど、虐待もあれば死別もあるだろうし、東南アジア系のハーフみたいな子もいたかから置いていかれたりもあるのかなぁ、と想像した。

掃除は施設の小学生の子どもたちと一緒にやった。
施設の人(先生?)が、掃除を始める前の説明で、
「虐待を受けた子どもたちは愛情を受けられなかった分、取り戻そうとしてだっこして欲しがったり普通以上に甘えてくる子がいます。だっこをしてあげてはいけないとは言いませんが、甘やかし過ぎもよくないです。言うところはしっかり叱ってあげてください。」
と言っていた。

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問題行動というのか、みんなで掃除って時にどっかに行ってしまって手伝わなかった男の子もいた。
こちらもあまり強く叱れないので、ある程度以上は何も言えず放置した。
ほんとどうしたらいいのか分からない。所詮、自分たちは一見さんだし。
その程度の問題行動は別に普通の家庭の子でもいそうな程度なのかもしれない。
自分が意識しすぎなのかもしれないと考えるのだが、そこは自分でもよくわからない。
逆に言うと小学生のころに見たヤンチャな子というのは家庭環境に問題があったり親の教育に問題があったのかもしれない。
 
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説明にあった通り、普通以上に甘えてくる子もいた。
10〜12歳?の女の子で「だっこしてー」とか言ってきた。
まぁしてあげてもいいか、と思い、してあげたりもしたが、何回も言ってきた。
しないと「だっこ〜!」とか「だっこしろよー」と言って駄々っ子。
困ったもんだったが、あまり怒る気にもならず適当に相手にしてあげたり、話をそらしてはぐらかしたりした。

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掃除が終わってから、子どもたちとボランティアは別々にご飯を食べた。
深い意味はなく、彼らは掃除後すぐ給食みたいな施設で準備されるご飯が準備されていたけど、こっちは掃除が終わってからその辺に買いにいったので。

で、昼飯終わったら小学生、その下の幼児と一緒に近所の公園に遊びに行った。

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だっこをねだってきた女の子は活発な仕切り屋さんで何人かを誘って、鬼ごっごをしていた。
子どもはルール適当だから非常に破たんした遊びだったw
ボランティアのメンツも初対面ばかりで誰が鬼かどうかとか分からなかったしw
 
で、それに付き合うのが微妙だったんで一人でいた幼児(5歳くらい?)の相手をした。
サッカーボールの蹴り合いをした。
仮面ライダーのマネをしながらボールを蹴ったり時にはパンチしたりしてた。
仮面ライダーのマネってのは「タ、ト、バ、タトバ、タットッバ!」って言いながら蹴るってことなんだが、あまり言えてなかったw
さらに、色んなバリエーションを言っていたが、そんなん実際にないやんw!っていうのも混ざってたりで、なんかもう可愛かった。

で、その子が疲れたっていうから休んでた時、「お兄ちゃんは大きくなったら何になりたいの?」って聞かれた。
(俺もう働いてるんだがw しかしまぁこれからでも何者かになることは可能なのかもしれないか。。。)と思っていたら、
「僕はサッカー選手! お兄ちゃんは?仮面ライダー? オーズ?ダブルでもいいよ?」
と続けられ、
「そうだねぇ。仮面ライダーになれるならなりたいねぇ」
と答えた。
 
さらに、なぜか
「ねぇ死んだらもう起きないの?もう動けないの?」
っていうようなこと聞かれた。
「うーん、死んだらもう動けないねぇ。ずーっと動けなくなっちゃうってことが死ぬってことかなぁ。。。」
とかそんな風に答えた。
 
その時は子どもの素朴な質問ってやっぱり結構困るなぁ。という程度にしか思わなかったが、振り返ってみるとあの子は親と死別しているのかもしれないなぁ、という考えが思い浮かんだ。別に確かめる手段もないし、勘繰ってもしょうがないが。

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小学生くらいの男の子は斜に構えてたりしたけど、女の子や幼児くらいの子たちはおおむね人懐っこい感じで、やはり愛情に飢えているのかなぁ?などと思った。

いまさらガンダム00

ガンダムOOの映画に関しては賛否両論あるらしい。
自分はどちらかと言えば「賛」の方。
ファースト世代の方からすると「否」の方もいらっしゃる。

自分が良いと思うのは、人類の革新というテーマを描いたこと、ファーストコンタクトという伝統的SFテーマを描いたことという意味で頑張った、製作者の態度としては誠実なものだったのではないかという点。

微妙な点として、ガンダムの扱い。
冨野のガンダムとしてはガンダムは兵器として、道具として扱うものという部分がある。
その点でOOの扱いはどうかと言うと、最終的にはコミュニケーションツールのようになり、さらには主人公・刹那と一体化?するかのような点はどうか。
冨野ガンダムの扱い、戦争兵器としてを押し広げ、ツールとして扱うのであれば、コミュニケーションツールと化すのはまだ許せるのではないか、と思う。

しかし、主人公のガンダムへの思い入れが強く、「俺がガンダムだ!」と言い放つ。
それは幼少期のガンダムとの出会いにより、結局彼は当時信じた神から、ガンダムへと改宗したのでしかない。ガンダムを神格化し、絶対的権能の象徴(デウスエクスマキナのような?)とした。
そこが出発点であったことは良いとして、本来からいえば(ガンダム=ツールとするならば)、彼はそこから脱却しガンダムはやはりツールでしかなく、扱い方次第であると気づき、使う人間が大事だよね、結局人間力(?)、という結論に至るまでを描くべきだったのではないだろうか?
もしくはガンダムを突き放し、人間的やり取りにおいて解答を導き出すこと、またはかつてのガンダムのように解答保留にする、というか相互理解って言っても上手くうまくいかないよね、というところで落としどころをつけるか。
かつてのガンダムがあまり解答まで見せず、延々と試行錯誤の過程を描いているのに対し、今回はあくまで解答まで見せたかった(だからたかだか数十年で人類の革新が進んでいるとした)のであれば、ガンダムによるコミュニケーションの成立ではなく、人間が、人間の力で相互理解を成し遂げたというところを強調するような描き方があってもよかったのではないだろうか。
若干ガンダムを良く描きすぎており、ガンダムのおかげだよね、と見えてしまいそうになっているのが良くないのかもしれない。

作者の考えとしては「ガンダム」なんだからガンダムありきでしょ、という考えなのかもしれないし、冨野ガンダムに拘らなければそれもありなのかもしれない。

まぁ、作品の評価なんて個々人がどこに拘って何を良しとするか次第なので、個々人が個々人に感想を持てばよいと思いますけど、他人の自分と違う意見を見聞きするのもそれなりに面白い部分もあるかもしれませんね。

なのでこれを見た人がふーん、こういう考えの奴もいるんだと思っていただければ幸甚でございますよ、と。

雑記

なんかひさしぶりにはてぶ見たらインターフェイスかわってない?日記書く時の道具が勝手に増えてると思うんですが。

仮面ライダーはWとOOOは個人的にはなかなか好きです。ライダーはやはり多くないほうがいいんじゃないかな。
あと設定ややこしくしてもどうせ意味わからんくなるし。
だからWは割と話がシンプルでよかった。

といっても自分としてはWの園咲琉兵衛はなぜ自分ではなく若菜がガイアインパクトを起こすように計画したのか、若菜だけを贔屓したのか釈然としない。最後の実は理想の家族を求めたみたいなのも、本人がイかれてしまっていたということかもしれないがなんか無理やりな印象ではあった。

カブトはなんかもう話が意味不明になっていたし、ディケイドも無理があるし、電王も設定は制作側が好き勝手後からなんかだしてきたりする。
いろいろ擁護とか説明をしきる術はあるのかもしれないけど、普通にみててついていきずらい。そーいうのはちょっとなぁ。カブトは明らかにライダー出しすぎた感があったし。

oooは主人公が近年まれにみる正義の味方らしくて良いですね。
ボヘミアンな背景も好き。

ゴセイジャーはシンケンと打って変わって微妙。元ネタを推測したり敵組織が変わっていくのは新しいけど、味方側は今一つかなぁ。

西島大介先生 主催の「ひらめき☆まんが学校」の見学をした。
1学期の分の単行本を読んでから行ったが、2学期の1,2日目の内容が分からなかったが、話から大体つかめた。
で、話は生徒の人たちを売り込みとか、マンガの描き方ではなく商売として成り立たせる方向に持っていっていた。
しかしまぁ、当然と言えば当然なのだが、もとから商業誌でやっている人や同人で描いている人など、「ひらめき☆まんが学校」以前からとっかかりを持っていた人が「ひらめき☆まんが学校」をさらに手がかりにして発展していっているという印象だった。

それなりの絵や話を描けるようになりたいと思っているけれども実力がまだ、そこに達していないのだろうという人は結局訓練を続けるという結果になっている人もいたわけで。

結果、以下の3つのように生徒の進度をカテゴライズしていた。

1.かけがいのない誰かとマンガをこれから作っていく
2.担当なり、商業的パートナーのような人と仕事にしていく
3.もう仕事になっていてもっと売れていくにはどうするの?

3学期は、3.の人たちに焦点を絞ってどうしていくかについての講義になるらしい。

詳しくは2学期の分の単行本化が待たれますな。

1学期の分を読んでいて思ったけど、西島先生の方法論てちょっとテクノミュージックぽいなと思った。
構図とか他のとこから持ってきて自分の絵でアレンジするのはありっていうのは、テクノが昔の曲をサンプリングすることに近いような印象だったので。
西島先生がテクノ好きだって聞いたから、そこからの推測も入ってるんだけど。

「ひらめき☆まんが学校」を知る少し前からなんだけど、自分もやはりマンガ描きたいなと思ったりしている。
あとおかしな考えで、編集者になるよりマンガ家のほうがなれるんじゃないか?だって普通に考えてマンガ家より編集者のほうが数すくないでしょ?
とか思ったりね。でも食えないマンガ家なんか腐るほどいるんだから、食っていけるマンガ家に限定するとやはり当然それは微妙ですけどね。

備忘録

破滅ラウンジを見て、「マイマイ新子と千年の魔法」の魔法を見た。

破滅ラウンジはなかなかにカオスな状況だった。
あまりまともに語れるほど自分は現代artを語る言葉をもっていないが、
日本の現在の状況の一面を提示しているのかなと。
ああいう作品は現代の一面、それも特徴的でEdgeな部分を切り取っていて意味のあるものだとは思う。

印象としては、音楽が爆音で流れていてクラブのような雰囲気もあった。けれども、音楽がなかったらあの光景は理系大学生のたむろする部室のようだ。
また、どっかにも書いてあった気がするけど若干神山健治的な感じでもある。
webと常につながっている感じとかが。それを地でいっているというか、神山さんがそれを表現したのだともいえるか。。。

破滅ラウンジは全体がインスタレーションで、場にいる人間も含めて作品であると思う。
こういうインスタレーションて売買できる作品ではないだろうけれども、今後参加者たちは売買可能な作品を作っていくのだろうか?
参加者たちの今までの活動を知らないので今までには売買可能な作品も作っているのかな?

なんというか、現在は過渡期で、art作品としてまとまった形を持った新しいものが今後あそこから新しいものが生まれていくのかな?
自分の理解が追いついていないだけですでにスタイルは完成なのか?
そんなことはないように思うが。
まだ個々人のスタイルはそれほど確立していないのではないかなぁ?

自分が仮に作品を作る立場として考えると、
自分はほとんどプログラムできないからあんな作品はもっと勉強しないとああいう作品は作れない。
作れないからなのかもしれないが、そもそもああいう作品を作りたいとも思えない(ああいうものを否定するのわけではなく、自分のパーソナリティとして)。
それはそれでいいのかもしれない。自分の作りたい作品を作れば。みんながみんなああいうweb依存な作品を作る必要はないだろうし。
でも、新しい技術を用いて新しい形のものを作ることは重要だとも思う。

話は変わって、現代の生き方に関して思ったこと。
今はwebにまったく依存しない(頼らない)で生きることは難しいような時代です。
けれども古風で、ネイティブアメリカンの精神性とか東洋的アニミズム好きな自分は現代的なwebとか電気的ツールを駆使した生き方を肯定し、享受しつつ、身体性とか精神性とか自然とかアナログなものも大事にするようなハイブリッドな生き方をしていきたいかな。
そもそもオーガニックとかエコとか流行りだからそっち系ライクな作品もうけいれられるかもしれないか!?
そっちのほうが自分には向いているかな。そっちメインで少しはデジタルなものを取り入れる感じでいくとか・・・

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マイマイ新子と千年の魔法

なかなかうまく言葉にはしずらい。
ザックリというと、まったりとしたトトロ系な?映画のようでもあり、もっとトトロよりリアルなところもある。
時代設定が1955年くらいなのでもあれがリアルタイムだったりそれに近い年代の人は、自分なんかより楽しめるのかも。3丁目の夕日みたいに。
リアルタイムではなくても楽しめたけど。
少年少女が現実的な問題にぶちあたる。それがリアルなんだけれども割と落ち込む様子なんかはそこまで描かずに進む。それもリアルなのかも。
実際少年少女もそんなすっぱりと問題を乗り越えるわけでもなく、もやもやをかかえながら成長していくわけだし。
一応、少年少女が少し成長するような感じでもあるが、物語の中ではっきりと成長します、というよりは少女たちはいろんな壁にぶちあたりながら大人になっていくその一時期、一瞬を写したようなものかもしれない。
なんか健康的で壁にぶちあたっても乗り越えていってくれそうだから落ち着いて成長を見守れるような感じなのかも。

破滅ラウンジとは落差が激しくて、頭をきりかえられなかったのか見てすぐにこれはすごい!とは思えなかったけれどもじわじわくる感じで今日はこれを反芻しながら眠りたい。
といっても破滅ラウンジも反芻しそうだから結局混乱するかもw

DVD出たらまた見たいな。

webの動向から見ると?

ここ数年ってmixitwitter、ust等のSNSが流行というか、なんか社会の動きなんかを象徴している。
それに関していくつかのことを考える。

1.メディアとして
net、SNSに対して、既存のマスメディア(新聞、TVとか)は勢いを失っている。
といっても情報のまとまり具合とか質・密度という点ではまだ全然、必要とはされているわけだけれども。
何が一番いらなくなってるかっていうと、マスメディアが方向を示すことなのではないかな?

マスメディア(特にTV)はアホらしいくらい物事を単純化して、称賛やバッシングをするけれども、ある程度以上物事を考える人たちは物事がそんなに単純じゃないことを知っているわけで、TVのコメンテーターとかの意見なんて聞く必要がない。

それよりもtwitterでLIVEな統制されていない情報を得て自分で判断したりいろんな人の意見を見聞きするほうが良い。情報のまとまりはあまり期待できないかもしれないが、TVよりもtwitterのほうがジャーナリズムを体現しうる可能性すらあるのではないか?

2.心理背景?
まぁこんなSNS系のものが流行ることは、情報発信のツールとして便利なのも当然だが、やはり、みんな寂しくて人と繋がっていると安心できる。心地よい。ということがあるのだろう。

そういう心情ってエヴァにはもう現れていてやはりエヴァってすごいのかな?と考えるのは少し短絡的だろうか?

ちなみに、もしかしたらこういうものを良く知らない人は。「netに依存してリアルな関係が希薄」なんてことを言うかもしれないが、実際それなりにリアルでも会ったりしてむしろ社交性上がってるんじゃないのか?という一面すらある。
netがなければ出会わないような人とも出会うわけだし。
引きこもりが仮にnetばかりやっているとしても、その人はnetがなければもっとしんどい思いをしたかもしれないという見方もあったりねぇ。

3.art
村上隆氏はustとかやっていたり、カオス*ラウンジとかpixivとかartもnetとの親和性が高まってきているわけです。
誰でも発信できるようになり、プロ・アマの境目が曖昧になりつつあるというのは以前からどっかで聞いていますけれども、artも御多聞にもれないのかと。
ツールも発達して個人でアニメ作れちゃったりもする時代ですから。
ほんとに境目がね。。。
まぁなんだろ、金もらって食っていければプロで、それ未満はアマなんですかね。

pixivとかにあがって氾濫するものになってくるとartは今までのような価値を保つのかな?
批評家がいろいろ見て、評価して価値を決めるのか?pixivのランキングなんかとは別に。
氾濫しまくってゴチャゴチャになった先に新しい何かがあるのかっ・・・!?
権威あるartが消えてしまうのか?まぁそれはないのかな。島宇宙化している中では島宇宙の中で需要のあるartが消費され、島宇宙的artが普通になり、artの棲み分けが明確になるのか?
今までも結局は個人個人は自分が気に入るartだけを受容していれば良かったのだから、その点では変わりはないのだが、東さん的に言う大きな物語の喪失というか、美術業界全体を貫く権威が喪失する可能性があるのかもしれないと思う。

備忘録

破滅*ラウンジやら、村上隆氏の日本画ustなんかをみたが、いろいろ混乱するなぁ。。
自分はまだまだ不勉強だ。

なんか日本画ustのほうはチャットのせいなのかなんなのか止まりまくって途中まともに見れなかったので、アーカイブにしてほしい。
チャットから察するに、学生は不勉強で、村上氏の独演、説明に近い状況だったようだ。
しかし、案外美大の学生も不勉強なんだろうか?今回の日本画ustに出た人たちは不勉強だったらしいが、全体はどうなのか?
芸術家も賢くないとやってられませんか。賢いというか時代を感じるセンスが敏感でないといけないのかな?

カオス*ラウンジはtwitter上で名前は目にしていたけれども、チェックを怠っていた。

今後のartはああいうWebと一緒に活動するものが売れるんだろうか?
ニッチな活動のようにも見えるが、そもそも先端的artとか、結果的に成功というか売れるというかそういうものの出始めなんてニッチだろうからそれはそれでいいのか、とも。
東浩紀氏というそれなりに大きな存在が味方(?)しているのだから、ニッチといえどアドバンテージがあるかも。

自分も絵描いたりするけど、ローテクだから、それじゃあダメなんだろうか?とも思うが、自分ができることで勝負するしかないよなあ。。。
つっても現状しがないサラリーマンなのでまともに絵を描く時間もない。
ニートにでもならないとなぁ。
自分と同世代の若い人たちがそれなりに頑張って活動しているのを見ると焦ります。

村上隆氏の放送に比べ、破滅*ラウンジのustは身内で勝手にもりあがっている学生サークルみたいなノリだった。
東さんの周りの人オタクぽい人ばっかりで身内で閉じている印象を受けてしまうなぁ。
飲み会とかのを垂れ流してて外部から入りずらいからかなぁ?
別にまじめに活動はしているのに、なんか抵抗感を覚えてしまう部分もあるが、興味を惹かれる部分もある。
とりあえずいろんな流れを知っておきたいと思うので。