備忘録

「路上」(ジャック・ケルアック)、「フィンランド 豊かさのメソッド」(堀内都喜子)を読了。
かいじゅうたちのいるところ」を見てきた。

***「路上」
割と淡々としていて、退廃的なところのあるロード系(?)小説。
まぁ嫌いじゃないが淡々として何があるわけでもなく、主人公(サル・パラダイス)と友人(ディーン・モリアーティ)が旅を繰り返し、乱痴気騒ぎやら人との出会い、別れを繰り返したりする青春の匂いのする作品。淡々としていて地味な感じもするが、精神的にボヘミアンな人には意外とずっしり印象に残る気もする。

***「フィンランド 〜」
フィンランドの良いところを主に紹介しつつ、日本との違い、それぞれの良い点、問題点を挙げたり、若干の問題提起もある。読みやすくて内容も平易。
個人的に印象にあるのは、フィンランドではほとんど残業をしないけれども国際競争力や子どもの学力は世界一位だという話。
残業をそれなりにやっている身としては、やはり日本人は働きすぎなんだな〜。
やはり仕事の効率が悪いのでは?それかもう少し人を雇ってワークシェアリングしたほうがいいとか。ワークシェアリングは実際経営的には難しい点があるという話もわかるが。

同世代と話していると残業を沢山している多くの人がこんなに働きたくはないと言っているし、日本の労働体制に不満を嘆いている。
こんな自分たちが管理職になるころには変えていけるかもしれないが…

***「かいじゅうたちのいるところ
映像、音楽などは良いものの、ストーリーが今ひとつ。

見た目的には、あんな着ぐるみのようなかいじゅうが自然に動いているのはすごい。体の動きも顔の表情も、どこまでがパペットでどこからがCGなのかけっこう分からないほどだ。

音楽とかかいじゅうがはしゃぐシーンとかは楽しくて良かった。

ストーリーに関しては、マックス(主人公)がかいじゅうたちの島に行ってもう少しなにかするのかと思ったけど、あまりはっきりとしたイベントがなかった。
マックスのおかげで気難しい(?)キャロル(怪獣)がKWと和解してみんなが平和に仲良くやっていくようにする、というのが一般的に期待されそうな物語のカタルシスな気がする。
しかし、マックスは楽しく過ごそうとはするものの失敗して怪獣たちの仲はこじれる。そしてはっきりとした仲直りがあるわけでもなく帰路についてしまう。
まぁ最後にキャロルも見送りに来てくれたりして、みんな本当は互いを想い合っていたりするのもわかるが。
マックスが自分と同じような状態のキャロルを見て精神的に成長しているのかなとはおもうが、キャロル側の救いって結局ないままなのでは?というのが気になってしまう。

怪獣たちの関係性は実は想い合っているけれども、上手くいかない家族そのもので、家族で(とくに子どもが)見るには良いもの。
怪獣たちがみんなではしゃいだり、重なりあって寝たりなどのシーンは可愛いし。

大人は余計なツッコミ入れたくなっちゃいそう。なんで一人で海を渡れるの?とか島での食事はどうしてたの?とか。
でも、もとがファンタジーな絵本って考えるとあんまそんなこと考えるものでもない。自分もエルマーとか読んでたけどそんなツッコミ入れたくないもんな。
まぁ初めが現代家庭から始まるから、現実からファンタジーへの気持ちのシフトがちょっとしづらかったかも。
ネヴァー・エンディング・ストーリーなど他のファンタジーに比べて現実とファンタジーの境目が曖昧ではあったし。

つっても、あまり深く考えずにのんびり、家族とかでみるには良いかな。

備忘録

友人が、芸術家の社会的意義、責任の話をしていたが、ふと大学の教授などはどうだろうと思った。

理系は技術の発展に貢献する部分もあり分かりやすいが、文系の例えば文学などはどうなのだろう?
芸術にしろ文学にしろ、ある意味(現代においてケータイを使わないと不便だが、小説を読まなくても不便はほぼないというような文脈)で実生活にはなくてもすむもの。

教育の土壌を耕し広げるというような意味があるとは思う。または、それを学ぶ人はそれを通して考える力を身につける、後世にこういうものがあったと伝える、国文学ならば日本人のアイデンティティを保持するのに役立とかいろいろある。

しかし、あくまでそこを学ぼうとする人、興味のある人にとってしか意味をもたない。
文学や歴史などを研究する人はもっと一般世間に向けて働きかけることはないのだろうか?

なんというか、上記のある意味で実生活にすむジャンルの職業というのはそこの分野にとどまっていても済む。
教授ならば自分の知的好奇心を満足させることだけに腐心していても済む。
しかし、彼らの社会的責任を考えれば世間に向けて発信してもよいはずだ。
まぁ、教育に従事する人たちなのだから、学生に対して教育をしっかりしてくれればよいのだが。
実情はどんなものなのだろう。

備忘録

マイケル・ムーアの正しいと思うところは言っている内容よりもそのスタンスである。
つまるところ、世のあり方の根幹は政治・宗教・経済体制の3つくらいだと思うから、その中の政治・経済に対しては取り組んでいる。
キャピタリズムではキリスト教礼賛みたいな感じだったし、彼では宗教を扱うことは難しいのかもしれない。
それぞれの宗教がどんなもので、その信者はどんな人たちなのかということを扱うドキュメンタリーがあってもいい。

***
今日はオーシャンズを見てきた。
映像は良いがナレーションが若干恣意的すぎる。
言っている内容も、知っているような割と当たり前のこと。
世間の多数の人はそれすらも知らない人が多いのかもしれないが。
結局人間のせいですよってことですよ。

環境問題ってのは別に10年とか15年くらいまえと言ってることがほとんど変わってない。
なぜ、変わらないのか?
環境破壊は一般消費者と産業の原因の割合を比べると1:9かもっと偏っているらしい。
ということは国や自治体、会社が本気で取り組まないと解決できない。
しかし、会社なんかはいってもそこまで本気を出さない。
なぜか?
結局資本主義だから。大量生産、大量消費のご時世だから。
ここでも結局、資本主義かなと思った。
まぁキャピタリズムを見たばかりだからそういう考えに結びつくのかもしれないが。

草の根運動的に一般消費者が地道なことをするのもいいけれども結局、原因が大量○○なのだから、対策だって大規模なものとして行わないと難しいのではないか。
まぁ世論が変われば政治が変わって今後もう少し国とかも本気になってくれるかも?
しかし、自分も含め現代人がどこまで生活を変化させられるのか?
みんな新しいもの、便利なものがいいんだし。雑誌なんかで「楽しくエコ」みたいな美辞麗句が見受けられたりする。実際それくらい敷居を下げないとみんなやる気にならないから。

3Rってエコが流行る前から環境省でも言ってるし、自分は、勿体無いオバケが憑いてるんじゃないかってくらいものを捨てるのが嫌い(苦手)なので、リサイクルとかもっとちゃんとしていわゆる循環型社会になって欲しい。

それかいくとこまで行って勝手にバランス取れる人口に減るしかないか?
野生動物でも平衡状態が崩れると自然とそのうちなおったりするらしいし。結局人間も動物の1種だし。
今の社会でも地球総人口1億人〜10億人くらいならいけるんじゃないか?
もともと産業革命以前の地球総人口は2〜3億人くらいだったという話だし。
その場合でも結局今よりスローな社会になりそうだな。

キャピタリズム

マイケル・ムーアの「キャピタリズム」を見た。
まぁ分かっていたことだが、資本主義はもう終わるかな。

9.11が起こり、金融大不況が起こった。

自分はインディアン(ネイティブ・アメリカン)に興味があって、そういう本を読んでいたりするのだが、彼らのなかのいくつかの部族に伝わる予言では、2011年ころに白人世界が終わるとかいうものがある。

まぁ予言なんて興味がない人にとってはまったく胡散臭いものだろうけれども、白人世界の指す意味が資本主義なのだとすれば、それが起こってもおかしくはないかなぁ、というのがここ3,4年の自分の考え。

正直、自分の考えは神秘主義への憧れめいたものと、世の中が変わることへの淡い期待が背景にあるがゆえなんだろう。

ブログかレビューか何かで、
「結局キリスト教の教理に従いなさいってことなんじゃないか」
というような意見があった。
確かに、映画の中で彼は
キリスト教において資本主義は邪悪なものである。」
アメリカはもともと民主主義の国であり、憲法の謳うものと資本主義は矛盾する。」
という理由で批判をしている。
”理由で”というか、そこを根拠として資本主義へ不当性を投げかけている。

彼自身が本当にそれを根拠に、資本主義のあり方を批判しているのか、映画を通して伝えたいターゲットがアメリカ国民であるがために、アメリカ国民が分かりやすいように伝えるという戦略的手法なのかは分からない。

アメリカ国会議員にも社会主義的な人がいるという話で、その人にインタビューをしていたが、その人は民主社会主義だと言っていた。
それに対してマイケル・ムーアは「わるくない。」と言っていて、「良い」といわないあたり、やはり彼自身、民主主義を信奉しているのかな。
パンフレットのコメントでは、
「資本主義を批判すると、”では君は社会主義がいいんだな?”と言われるが新しい理念は考えられないのか?社会主義は19世紀の理念で、今は21世紀だよ」
というようなことを言っている。
全くその通りだ。
自分も、どちらかというと左寄りな考え方だが、別に今現在の社会で、社会主義やら共産主義を実現すればいいとも出来るとも思ってない。
民主的だが、人々から搾取することのない福祉とかを充実した社会になればいいんじゃないかと思う。

一番大事なのは自分で考えるってことだと思います。
自分も政治とか経済についてもっと勉強しないといけないと思う。
そのためにも、仕事ってもう少しゆったりして、他のこと考える時間がほしいです。

自分はいわゆる「ゆとり世代」ではないけど、(というかゆとり世代と言う言葉とは関係なく)ゆとりのある生活のほうがいいと思いますよ。人間だものw



映画と関係なく、少し疑問なのは、60年代のLOVE & PEACEなヒッピー文化って
どこいったんだろ?
日本でもあの当時の学生運動の盛り上がった時代なんて左翼的な人も多かったのに、鳴りを潜めてる気がする。なぜ?
アメリカは自由の国と言いながら、共産主義社会主義に対しては非常に厳しい態度をとるから?
日本も結局偉い人wというか政治家は保守的なひとがおおいからなのかな?
ジョン・レノンなんかも左翼的すぎてFBIに監視されてたんだし。
ジョン・レノンはまだ人気あっても彼の考え方を理解し賛同している人はどれだけいるんだろう?

備忘録

年始には親と「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た。
今日は友達と「バグダッド・カフェ」のニュー・ディレクターズ・カット版を見た。

バグダッド・カフェは10年くらい前にもビデオで見たけどあんまり覚えてなかった。
昔見たときはそんなに面白いと思った記憶はないが、面白かった。昔は子どもで面白さがわからなかったのかもしれない。

ユルくてよかった。

ユルく生きるほうが人間らしいんじゃないかな。
都会はしんどい。

なんもせんでも街中に人が多いだけでしんどいし。
マナーの悪い人とかにイラついたりしてしまうし。
都会の人はひとが多いのに慣れてるから、人が多いからしょうがないと思っているのか(まぁ何も考えてなくいだろうけど)、道でも店でも公共スペースとかでまわりに気つかってないが多い気がする。

帰りの電車でも、感じ悪い人がいた。
俺が壁際に立って本読んでたら後から乗ってきた人が、読んでる本に手があたるくらい近づいてケータイいじる。
少し人が降りてどいたと思ったら肘が当たるくらい近く横にきた。若干押してくるくらいなのに全くその人は気にしない感じでケータイいじってるし。
鬱陶しいから体をよけ気味にすると遠慮なくまたこっちに来る。マジキモイ。
周りに気使えや。

自分なら人の本に手があたるような状況でケータイいじらんし、そんなに混んでないなら極力人に当たらんようにするが。

自分が細かいことを気にしがちな性分もあるのかもしれないし、都会の人は混んでるのに慣れててパーソナル・スペースの感覚がこんな田舎出身の人間とはことなるのかもしれないが、そんなことが問題なのだろうか?

自分がなるべく人の気分を害さないこと(マナー)を気にしているから他人でもマナーの悪い人が気になってしまうんだが。
みんながマナー良かったらみんな気持ちよく過ごせるんやからちゃんとしたらいいのに。
まぁ世の中のそうはいかんから、悪い部分がなくならんのやな。

備忘録

仮面ライダーW&ディケイド MOVIE大戦」とマイケル・ジャクソンの「This Is It」を見た。
(どんな組み合わせだかw)

仮面ライダーは、カブト、THE FIRST、THE NEXT、ディケイド(オールライダー)、今回と見たがあまりクオリティ高いのはないなぁ。
良かったのはTHE FIRSTくらいかな。

自分の見た限りでは田崎竜太さんは微妙なのか?と思ってしまうが…

仮面ライダーとは関係ないけど、手塚治虫さん原作の「MW」の映画もあまり良くなかった。

明らかに話の展開とか、登場人物の心理描写としてわかりにくかったり、設定的に疑問の残ることをやってしまっているのって作り手はどう思ってるんだろう?
当然いいものを作るのは難しいんだけれども… うーん。

This Is Itは良かったな。
マイケル・ジャクソンは奇行も目立ったし、ファンってわけでもないけど、彼が最高のエンターテイナーの一人であったことは否定しようがない。
表現をする人たちなんてアンバランスでまともじゃいられないような人じゃなきゃやってられないという気もするし。
クソッタレな「まとも」な人は表現なんかする必要もないだろうし。
非常によくできた聖人みたいな人間も表現はしないだろうな。
まともじゃいられない人ってのは自分の気持に嘘がつけなくて折り合いがつけられないから表現によってそれを解消しようとしている部分もあると思う。
自分でも美術作品を作るのってそういう部分があると思うからそう思うんだけど。

しかし、マイケル・ジャクソンのファン(に限らないけども)を見ると熱狂ぶりがヤバイな。
やはり欧米人は感情表現が豊かだからか?
自分は誰かに対して熱狂ってのはできないからちょっと引いてしまう。熱狂ってやはりちょっと危険な感じがしてしまうから。

あと、マイケル・ジャクソンを見ててディズニーランドと通じるものがあるな、と感じた。
どういうとこかっていうと、ファンタジーを現実に行うってとこ。
観客に夢を魅せる。
それはそれでいいことだ。

でも自分の感覚としては現実感のないものって手放しに受け入れられない。
地に足がついてない感じのものとかって不自然な感じがしてしまうから。

              • マナー

映画館でたまに上映中にケータイ開く人がいるけど何考えてんだ?
少しとはいえしゃべるやつもいるし。
迷惑だってスクリーンで注意もしてんのに。マジやめて欲しい。
ああいうのとか年齢に関係なくいるんだよなぁ。
普段偉そうに最近の若いヤツはみたいなことをオッサンたちは言ってたりするけど、正直年齢なんか関係ない。
街中でタバコのポイ捨てとかするオッサンもいれば、電車の中でケータイでしゃべってるオバサンもいる。

当たり前の捕まるような事をしない程度の道徳はある程度浸透しているけれども、もう少し上のマナーってのはまだまだダメな人が多いな。
自分自身がどの程度出来ているものなのか気にしているから、つい他人の行動も気になってしまうんだなぁ。
特に今日は渋谷だったからひどかった気がする。
渋谷は民度の低い街だからなぁ。

六本木とか行くと一見ハイソな人たちが多いけども、ああいう人種にも懐疑的になってしまう。
やっかみ半分な部分も自分の中にあるんだろうけど、「私はハイソです」「俺はオシャレ」みたいな感じのする人って嘘っぽいし、実際どないやねんって思ってしまう。
てか、自分が見えてる、自分のあり方に自覚的な人間が好きなんだな。
悪意のない平和な偉そうなとこのない素直な人も好きだけど。

備忘録

ヴェルナー・パントン展を見て映画「カティンの森」を見てきた。

ヴェルナー・パントンは現代のインテリアデザインでは有名なひとみたい。
一緒に行った友達も、実用性の低いデザイン家具とかには抵抗のある人間。
まぁデザインとして面白いとか、新しい技術でどんなことが出来るのかとか実験したり、先端的なことを試みる、可能性の追求みたいなことは別にいいけど、
本当にそれを実際の生活で使った場合に心地よいものなのかということは疑問に思ってしまう。
椅子だったら座り心地とかが一番大事だと思うし。
ファッション、家具、建築とか実生活にかかわるものって現実に使う場合どうなのかということを重視してしまう。
まぁ世の中には見た目が良ければ使いにくくてもよいという人もいるのだろうけどなぁ。

カティンの森ポーランドで起きたソ連軍による、ポーランド軍人(将校)虐殺事件を扱った映画。
まぁ久しぶりにシリアスな映画を見て考えさせられた。しんどかったけど。
マイナーな映画だけど、いかにもハイソ(?)っぽい中高年の人が意外と見に来てた。

当たり前だけど、戦争はろくでもないな。
しかし、戦争になったら今の当たり前の考え方なんて吹き飛んでしまうんだろうなぁ。
あまっちょろい考え方なんて、役にたたないもんなぁ。
しかし、現代の大量破壊兵器があることで、それ以前の戦争と人間の感じ方は変わったのかなぁ?
でも戦争で人を虐殺することは昔からあったことだから、敵を無感情に容赦なく殺す状況の人間の心境にはそんな変化がないような気もする。
そもそも、昔と今じゃ道徳とか価値観が違うからな。
昔じゃ異民族、異宗教の人間を自分たちと同じ人間だなんて思う感覚があったかも怪しい。
今だって戦争になってしまえば、敵に対する同情心を殺してことにのぞむのだろうな。同情して戦争なんかやってられないし。
逆に言えば、敵対する立場の人間に対して理解しようとしたり共感、同情すれば戦争までしなくてすむのかなぁ。
それこそ甘っちょろい考え方だが。
まぁIMAGINEです。
I'm not the only one.

展覧会から映画行くまでの間に神田、神保町のあたりをうろちょろしたんだが、楽しいな。
マニアックな本も結構見つかるし、インディアンの本とかブルースの本、絵を描く資料用の本を買った。
ディスクユニオンでブルースとGRATEFUL DEADPHISHのCDを買った。
結構、散財した。でも平日は仕事してるだけで金使わないし、こうやって使わないとな。
正直遊園地行くより、神保町めぐりしてるほうが楽しいなー。