いまさらガンダム00

ガンダムOOの映画に関しては賛否両論あるらしい。
自分はどちらかと言えば「賛」の方。
ファースト世代の方からすると「否」の方もいらっしゃる。

自分が良いと思うのは、人類の革新というテーマを描いたこと、ファーストコンタクトという伝統的SFテーマを描いたことという意味で頑張った、製作者の態度としては誠実なものだったのではないかという点。

微妙な点として、ガンダムの扱い。
冨野のガンダムとしてはガンダムは兵器として、道具として扱うものという部分がある。
その点でOOの扱いはどうかと言うと、最終的にはコミュニケーションツールのようになり、さらには主人公・刹那と一体化?するかのような点はどうか。
冨野ガンダムの扱い、戦争兵器としてを押し広げ、ツールとして扱うのであれば、コミュニケーションツールと化すのはまだ許せるのではないか、と思う。

しかし、主人公のガンダムへの思い入れが強く、「俺がガンダムだ!」と言い放つ。
それは幼少期のガンダムとの出会いにより、結局彼は当時信じた神から、ガンダムへと改宗したのでしかない。ガンダムを神格化し、絶対的権能の象徴(デウスエクスマキナのような?)とした。
そこが出発点であったことは良いとして、本来からいえば(ガンダム=ツールとするならば)、彼はそこから脱却しガンダムはやはりツールでしかなく、扱い方次第であると気づき、使う人間が大事だよね、結局人間力(?)、という結論に至るまでを描くべきだったのではないだろうか?
もしくはガンダムを突き放し、人間的やり取りにおいて解答を導き出すこと、またはかつてのガンダムのように解答保留にする、というか相互理解って言っても上手くうまくいかないよね、というところで落としどころをつけるか。
かつてのガンダムがあまり解答まで見せず、延々と試行錯誤の過程を描いているのに対し、今回はあくまで解答まで見せたかった(だからたかだか数十年で人類の革新が進んでいるとした)のであれば、ガンダムによるコミュニケーションの成立ではなく、人間が、人間の力で相互理解を成し遂げたというところを強調するような描き方があってもよかったのではないだろうか。
若干ガンダムを良く描きすぎており、ガンダムのおかげだよね、と見えてしまいそうになっているのが良くないのかもしれない。

作者の考えとしては「ガンダム」なんだからガンダムありきでしょ、という考えなのかもしれないし、冨野ガンダムに拘らなければそれもありなのかもしれない。

まぁ、作品の評価なんて個々人がどこに拘って何を良しとするか次第なので、個々人が個々人に感想を持てばよいと思いますけど、他人の自分と違う意見を見聞きするのもそれなりに面白い部分もあるかもしれませんね。

なのでこれを見た人がふーん、こういう考えの奴もいるんだと思っていただければ幸甚でございますよ、と。