福本伸行 アカギの死に様

少し前,福本伸行の「天」を読んだ.

福本さんのマンガってあの「ざわ…ざわ…」に代表されるような読む側に迫るような過剰表現に面白さというか,引き込む力があるんだろうし,当然それは面白い.
けど,案外福本さんがやりたいことというかテーマって,人間の汚さとか弱さをとか人間らしい生々しい生き様を表すことで,そのためのドラマを生み出すものとしてギャンブルとかが使われることになっているんですよね.

今回読んだ「天」では最後のほうはアカギが死ぬエピソードを2,3冊にわたって書いている.
痴呆症かなんかで,自分を失っていくことを感じるアカギはそんなふうにして生きるよりも自分として,赤木しげるとして死ぬことを選ぶ.そして,自ら死ぬ場に往年ともに戦ったものたちを呼び,最後の挨拶をそれぞれの人とする.
そこで,アカギは
「死はそんなに悪いもんじゃない.」
「それでも3%くらいは死ぬことに対する恐怖がある.」
というようなことを言ってます.

個人的にはその言葉が良く分かる.死ってものはそんなに悪いことではないと自分も思います.
当然死んだらおしまいって意味では誰だって死にたくはないでしょうし,本能として死は避けようとするものです.でも,死は絶対に訪れます.
それはある意味では救いのようにも感じられるのですよ.
なんにせよ人生に意味はないと言えばないのだけれども,仮に死がなければ生きることもいっそう無意味になるでしょう.
どんなことでも,その対立概念とかが存在することでしか,その価値を証明できないから.つまり,生きることが大事っていうのは死があるから大事なんであって,死っていうものの意味は生きることと同じだけ意義深いものだと捉えるのは間違っていないと思うんです.(アカギはそんなこと言ってないけど)
それに不本意に死ぬ場合はともかく,それなりに生きて死ぬ場合本当に死ぬことは安らぎのようなものですらありうる気さえします.
自分はまだ若いから年をとるにつれてどういう風に気の持ちようが変わるか分からないけども,年をとると死をそれなりに受け入れていけるのかなぁ?

あと,「死んで土に戻る」っていう表現をしたりするけれども,それも救いな気がするんです.
現代人はけっこう自然を感じずに生きてるし,自分もそうそう自然に触れられずに生活してる.けども,生まれて死ぬってサイクルは結局人間も自然のサイクルの一部って感じがするんです.だから,どんだけ自然から離れて生活してても死んだら自然に還れるっていうなら自分は少し救われる気がします.

といっても,アカギも「それでも3%は恐怖がある」って言ってたみたいに,死の恐怖が克服できるなんてえらそうなことを言うつもりはないですけどね.そこが悟りきってるわけじゃないとこも人間臭さがでていいですよ.

ほっといても人間は勝手に死ぬんだから,死ぬまではなるべく必死こいて楽しく生きていけたらなんて思うわけです.
逆説的な感じですけど,けっきょくそういうことが言いたいのでした.