エンターテイメントと「中二」とハリウッド

最近,マンガやらアニメを見ていて,

エンターテイメントで売れる(多くの大衆に受け入れられる)レベルというものは,いわゆる「中二」レベルのもので,世界で最も金を稼いでいそうなハリウッド映画のレベルもそんなもの

なのではないかと思った.
(自分はあまり「中二」を含め2chとかで広く使われているような言葉に詳しくないので,色々詳しい人からしたらこの表現は良くないかもしれないがご容赦ください.)

実際ハリウッド映画の娯楽大作なんてかなり設定やストーリーはシンプルだったり,ご都合主義的だったりするものが多い.
マンガで言えば,デスノートなんかも結構そういうところがある.それも含めて嘲笑気味に楽しむ人も少なからずいただろうけど,多くの大衆はそんなことを意識せずに普通に面白いと思っていただろう.

で,自分としては何が言いたいかというと,「中二」をバカにする風潮が結構強いようだけど,「中二」はそんなにバカにしてばかりいられるものなのか?ということ.

いかにも「中二」という事柄に熱中できるのがホンモノの(?)「中二」だとすれば,
分かりやすい面白さ=ハリウッド的=「中二的」
として「中二」と「中二的」と分けたら良いだろうか.

仮に今,自分の言葉のなかで「中二」と「中二的」というものを分けるとする.


少年マンガや,アニメなんかは,ターゲットにもよるが,ある程度多くの人に向けて作り,当然商業的に成功したいと思って作るのであれば,分かりやすい面白さを取り入れなくてはいけないだろう.(今はマンガにしろ,アニメにしろ細分化されているので簡単には言えない難しいことですが.)

自分の考え・思想・信念またはそのジャンルにおける新たな試み,などなどを込めて何かを作り発信していこうとするとき,その伝えたい部分とサービス精神の両方が大切となる.
このサービス精神というのは,今回の話では「中二的」な分かりやすい面白さをあえて盛り込んでいくということ.


また,自分の人間観としては,人は年齢的に大人になったからといって以前の子どもっぽさをそう簡単に失うものではない.人間は常に変化していくけれども樹木の年輪のように過去の自分というものも内包しながら変化していくのではないかと思う.
「中二」でなくなった人・もともと「中二」でない人も,多くの人は「中二的」部分を有する.
確かに年をとるにつれて,"ジャンプのようなものを読むのは疲れる","ハリウッド的なものには飽き飽き"となる様な変化をし,そういうものに熱中はできないようになるということでは「中二的」な部分すらも減っていくだろう.
しかし,それは徐々に「中二」から「中年」に移行していくのであり,(まだ20代の自分としては推測の域を出ないが,)人にもよるが30歳代くらいまでは,個人の精神において結構な割合の「中二的」部分を残している人は多いのではないかと思う.

「中二的」というのは,考えてみると,エンターテイメントを何も考えずに楽しむ「童心」というものに近いのかもしれない.
そう捉えなおせば,「中二的」ということはそう悪いものでもない.
「童心」と少し違うのは,あまりにも子ども騙しすぎるとさすがに楽しめないということで,ある程度のクオリティが必要となるということ.なので,あえて
分かりやすい面白さ=ハリウッド的=「中二的」
とまとめてみた.
(子ども向けは子ども向けで本来クオリティが必要だけれども…それはそれで長くなるので割愛)

いい年をして,「中二」すぎるのは確かにイタイだろう.しかし,裏中二病という言葉があるみたいだけれども,そうならずに肯定的に「中二的」面白さを楽しめばいいんではなかろうかと思いますよ,と.

(書きながら考えたからゴチャゴチャしている気がする…)