マンガはつまらなくなっているか
10年とか20年とか前、今の60~70歳くらい?のマンガ評論系の方々の中で、マンガは昔よりつまらなくなった的な話があった。
最近、評論系から離れているので、定かではないが、仮にそういう言説があるとして、実際どうなのか。
◆マンガがつまらなくなって”いない"という可能性
1.マンガの経験値
2.人生の経験値(年齢)
3.時代性
1.マンガの経験値
端的に言うと、似た話があった場合、先に読んだものを面白いと感じ、次に読んだものをその類型と感じ、新鮮さを感じなくなるから。
まず、自分が子どもの頃、ないし若いころ読んだものは色々な物語が初めて触れるタイプのものであることが多い。
例えば、バトルマンガで、こういう展開、キャラが出てくる。という話があったとして、後になればなるほど、どこかで見た要素という見方をされてしまう可能性が増える。後発のものは丸かぶりは避けるだろうし、全く同じようなものはないとはいえ。
年を経て多くの作品に触れていれば触れているほど、そういう見え方はしてしまうことは避けようがない。
さらにマンガ好きで多くのマンガを読んでいればいるほど、これはどこそこで見た、これはあの作品の影響を受けているといった見方ができてしまう。
(それゆえの楽しみ方もあるが)
極端に言えば、比較的よく似たAとBという2作品があり、AがBよりも前に描かれた作品だとして、そういうことを知らずにBのほうを先に読んだ人がいたら、特別Aのほうが面白いと感じる可能性は低いのではないだろうか。
これはあくまで思考上のたとえで、実際には直接比べられるほど似通った作品が存在するかどうかわからないが。
2.人生の経験値(年齢)
これはもっと単純で、若いときは感受性が豊かであり、年を取ってから読むよりも感動を覚えやすいから。
マンガに限らず年を取ってきたら感動しにくくなる人が多いだろう。
上記のマンガの経験同様、人生の経験も若いときにしたら、その後は既に知っている経験、体験というものがどうしても増えてくるだろうし、日々の生活の疲労感とかそういうことで感情が鈍くなったりすることもあるかもしれない。
実体験としても年を取ってから、少年マンガの友情や恋愛に感動するかというと、中々そういうことは減ってきている。
1.2.は実際分かちがたくて、相乗効果で若い頃読んだものは面白く感じたという可能性が高いのではないか。
さらに言うと、原体験だから、感動した記憶が強烈で、それが面白かったという個人の体験としての思い出、刷り込みとしてある可能性が高い。それは別に悪いことではないが、客観性が保てないので、一般論というか客観性を持った考えを言おうとする際には注意が必要になる。
3.時代性
その時々のマンガおよびその他諸々の時代の流行りがあり、格好いいと感じるもの、面白いと感じるものは時代と共に移り変わることも多い。
普遍的に面白いと感じることも多々あるのは分かるが。
昔のスポ根マンガの演出・ノリや、TVドラマの演出などの作り方などを見ると、今から見るとスベって感じたり、当時真剣だったのにギャグに見えてしまうことが少なくない。
そういう時代の感性的に今の10代が、今のマンガを面白いと感じているほどには、上の世代の人は今のマンガを面白いとは感じられないという可能性。
この3.は1.2.に比べると弱いかな...マンガ好きで読んでいたら、新しい表現とかはついていけてる可能性が高いので。
◆マンガが面白くなくなって"いる"可能性
正直、個人的にはあまり面白くなくなっているとは思えないので、書きにくい。
1.同じような作品が多い。
実際に類型にはまった作品が少なくないことは言えるだろう。タイトル数が増えているため、なおさら量産型ともいえる作品は多いには多いと思われる。
2.王道的作品、大味な作品が減っている
王道的といえる作品は過去にあったものとかぶり易くなりがちなので、後になるほど描きにくい。だからそういう作品が減っている。
とはいえ同時代に数作品は常に存在していると思われる。
正直、1.2.とも説得力が弱い。
きっと10代20代にとってはワンピースはすごく面白いのだろうし、30代40代にとって面白いマンガも多々あるので、マンガが面白くなくなっているなんてことはないんだろうなと。
やはり経験値によって新鮮さを感じなくなるくらいしか理由が思い当たらないです。
「セッション」を観て 町山智浩さんと菊池成孔さんの批評を参考に &宇多丸さんも
映画「セッション」を観終わった直後は、ポカーンという感じだった。
とりあえず勢い、迫力があり、ハラハラしつつ畳みかけるようにエンディングを迎えた。
評判のような絶賛したくなるような感動は覚えなかった。
まず第一にはフレッチャー先生が人格破綻者で、意味が分からず、どこまで主人公(や他の生徒)の成長を思っていたのか、
または挫折者がどれだけ生まれようとも、天才を育てたかいと思っていたのかよく分からない。
批評を見ると、フレッチャーは悪役で、生徒を潰そうとしていたというような書かれ方をしていて、それだけの思いしかなくて天才を育てたいということすら
嘘なのか? とイマイチ釈然としなかった。
なぜ自分は感動しなかったのだろう?なにか観点上で間違い(主観的な問題なので間違いというものは厳密にはないのだが)があったのか、言い換えると「セッション」を楽しめる見方ってのが何かあるんだろうか?ということを疑問に思った。
で、セッションに関して話題?になっている町山智浩さんと菊池成孔さんのやり取りを読んでみた。
(下記の4点のブログ)
「セッション!(正規完成稿)〜<パンチドランク・ラヴ(レス)>に打ちのめされる、「危険ドラッグ」を貪る人々〜」
http://www.kikuchinaruyoshi.net/2015/04/08/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E5%AE%8C%E6%88%90%E7%A8%BF/
菊地成孔先生の『セッション』批判について
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20150417
『セッション』菊地成孔さんのアンサーへの返信
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20150422
で、これらを読んで、自分はなぜあまり「セッション」に感動しなかったのか分かった気がした。
つまり、最後のシーンで、実はフレッチャーも主人公も救われてはいない=愛がない、ということ。
主人公がフレッチャーに自分を認めさせて、復讐・反撃に成功したということで、オチという形にはなっているが、「もっと感動的でカタルシスのある一般的な映画」(町山さんのブログより)になっていない。
自分はそこに引っかかったのかなーと。
その後、宇多丸さんの映画批評を聞いた。
https://www.youtube.com/watch?v=ZdAJoBsPoz4
で、これまた納得。そもそも「セッション」は感動物ではなく、主人公はダークサイド(何を投げ打ってでも、人でなしになってでも、偉大になるというような価値観に捕らわれる)に落ちるというバッドエンド物なのだということ。
ここが自分は間違っていたんだなーと。先生と生徒の話だからか、ついなんとなくいい話の方向にいくんではなかろうかと先入観を持ってしまっていたんだよなぁ。
宇多丸さんは何も難しいところはないと言っていて、たしかにそうなんだけど、自分みたいな人間も少なくないではないと思いますよ、多分...
蛇足
論争をしたがって白黒つけたがる人も少なくないようだけど、別に、絶賛する側の人が間違っているとかではなくて、やはり主観的・好みの話でしかないと思う。
なんで相手の言わんとするところを理解しようとして、相手と自分(の価値観、物の見方)が違うってことを理解しようとしない人が多いんだろう。
(町山、菊池両氏のことではなく一般論)
マディ・ウォーターズ & ローリング・ストーンズ
マディ・ウォーターズとローリング・ストーンズが共演した「ライヴ・アット・ザ・チェッカーボード・ラウンジ・シカゴ 1981」のCD&DVDを観た!
いやぁ、素晴らしい!マディ・ウォーターズの映像ってだけでも貴重なのに、ストーンズと共演なんてね。
他にもバディ・ガイ、ジュニア・ウェルズとかも出るし!
その分、マディは出ずっぱりってわけじゃないんだけど。
ミック・ジャガーがマディにステージ上がれよって言われて初めは「兄さんマジっすか...(汗)」みたいな感じでちょっと躊躇というかビビっているのもご愛嬌。だんだん乗ってくるんだけれどもね。
あとレフティ・ディズって左利きの黒人ギタリストがいて、初めて知ったんだけどこの人もかっこよかったー。
なんていうかブルーズマンたちの活き活きとしたセッションってこうなんだ!って雰囲気がとても伝わってきて、楽しい作品でした。
登山用品
来月登山(雲取山)に行くので登山用品を揃えた。
今回買ったのは、
リュック・ZERO POINT CHACHA PACK 45
マット・サーマレスト(長さ130cm)
シュラフ・L Breath EL450
軽アイゼン・mont-bellのコンパクト スノースパイク
コンパス
コンパスはあまり深く考えずに買ったが、腕時計のバンドにつけるタイプので、自分の使う時計(G-SHOCK)にはつかないので、代わりになんかにつけておかないといけない。それを買ったあとに他の店でみたらカラビナと一体になったのがあってそっちにすれば良かったと後悔した...
コッフェルは持ってるけどコンロが無いから欲しいな。
ファーストエイドキットも買っておきたい。
ヒューゴの不思議な発明
観た。
スコセッシ監督の映画愛の溢れる良い映画だった。
人の幸福って結局、居場所がある、つまり自己を他者に受容されることなんだなと。
パパ・ジョルジュはそれを取り戻し、子どもたちはそれに向かっていくという感じだったかな。
どーでもいいツッコミを入れると、始め必死にノート取り返そうとしてたのにノート無しで機械人形修理しきっちゃうし結局どこいったかわからないまま終わった。まぁ機械人形を直してしまえば別にいらないんだけど。
ストーリーに直接関係ないネタとしては、
ジョルジュ・メリエスって実在だったというのは後から知った。
彼の師匠がウーダンだと言っていたが、それが本当かはよくわからない。メリエスとウーダンの生きた時代からするとメリエスが10歳以下で教わらないといけないことになるから、そこは単なるオマージュかな。
ヒューゴの夢に出てくるシーンの機関車が駅のホームを突き抜ける事故も昔あったそうだ。
深夜残業
ウチの部署はフレックス勤務なのだが、定時(08:00)に出社していないと深夜残業は基本的にしてはいけない。
これは深夜残業は夜勤手当分給料が増えるが、それならば遅く来て遅くまでやったほうが早くきて同じ時間働いた人より、給料が増えてしまうので筋が通らない、というわけで納得できる。(子供の送り迎えとかで早く来れない事情がある人は除く)
っても8時とか早く来るのがしんどい人も多いわけで、でも仕事が多くて終わらない場合、深夜残業しても深夜残業にならない22時までしか勤務時間をつけずに、実際には22時以降まで仕事をする人もけっこういるってのがウチの部署の風習だったわけだ。
が、自分は最近8時に来た時に二日続けて深夜残業をして、働いた時間の通り勤務時間をつけた。
そのせいか、会社の勤労部門から深夜残業をあまりさせるなみたいな注意?がきたらしく、深夜残業の原則、
1.深夜残業するときは事前に申請しましょう。事後申請の場合は翌日中には申請する。
2.定時に来てないならば突発的な事情でない限り深夜残業しない。
とかなんとかの確認を課全体で確認が行われた。
サービス残業も深夜残業もしたくない自分にとっては望ましいことだ。
まぁ仕事が立て込んで忙しい時にはちょっと困るかもしれんが、深夜に入らないなかでの残業を目一杯してもまにあわないなら仕方ないでしょって言えばいいわけだからまぁいいかなぁ。